10月15日 アメリカがトルコに制裁発動 中東の歴史①
アメリカはトルコがシリアの北部に軍事攻撃を仕掛けたことに対して、制裁措置を発動しました。まあロシアとアメリカなど様々な思惑が絡んでくる中東問題ですが、僕も正直よくわかんないので、『池上彰の世界の見方 中東』という本を参考に何回かに分けて中東についてご説明したいと思います。
中東の歴史① どうやってイスラム国が誕生したのか。
この回ではイスラム国誕生の理由を探りながら、同時に中東の混乱の歴史も振り返りたいと思います。
まず話は第2次世界大戦のロシアのアフガニスタン侵攻という出来事まで遡ります。
ロシアは国境を接しているアフガニスタンが混乱に陥っていることを理由に、自分の味方の国にしようとして、アフガニスタンに侵攻して、ロシアの息のかかった政権を立ち上げます。
そしてアフガニスタン内で、親ロシア派と反ロシア派の間で内戦が起こり(社会主義 vs イスラム教)、アメリカが反ロシア派を支援するようになります。
しかし、アフガニスタンは中東の内陸にあり、アメリカは物理的に直接支配することができなかったため、親米国家であったパキスタンにアフガニスタンまで武器を届けてもらうことをしていました。
アメリカの支援によってロシアは撤退することになりましたが、アメリカもさほどアフガニスタンに興味がなかったため、アフガニスタンに力の空洞が生まれました。
そしてそこの空洞に今度はパキスタンがアメリカの支援物資から横領した武器を使ってアフガニスタンに入りこもうとしました。(敵であったインド寄りの政権を作らないため)具体的な方法としては、アフガニスタンから来た難民に対してイスラム原理主義の思想を植え付けて、武器も与えて、アフガニスタンに送り込みました。そしてこれが『タリバン』という組織になります。
タリバンはすぐにアフガニスタンを制圧し、タリバン政権が出来上がったのです。
一方、1991年にイラクのフセイン政権が石油を目当てにクウェートに侵攻したことを理由に、湾岸戦争が勃発します。そして自分の国もイラクに侵攻されるのではないかと心配したサウジアラビアがアメリカに助けを求めたため、サウジアラビアに米軍が駐留することになります。
しかし、これに反対したのがアフガニスタンでソ連と戦っていて、サウジアラビアに帰っていたオサマビンラディンです。彼はキリスト教である米軍がイスラム教の聖地でもあるサウジアラビア入ってくることを政府に非難しました。しかし、サウジアラビア側から追放されてしまいます。
そこでオサマビンラディンが行き着いた先が、先ほどのタリバン政権のアフガニスタンでした。そこでアメリカに復讐するためアルカイダを結成し、9.11のテロを起こします。
続きは明日で。。